ホリエモンこと堀江貴文氏がブログを再開している。面白いことを書くのではないかと期待していたのだが、実際ある意味面白い。ただ、こう書くと失礼かもしれないが、個人的にはかなり期待ハズレなところもあるのだ。


ブログのトップに「思ったことを素直に書きます」と書いてある。それが既に怪しい。そんなこと普通は書かないものだ。ということは、穿った見方をすれば素直に書かない宣言とも取れるのである。実際に書かれたことを読むと、素直に思ったことを書いているというよりは、意図的に何か隠して、当たり障りのないことだけを書いているような気がする。裁判中にブログを書くということ自体、前例のないことなのである。もしかしたら、まだ裁判が続いていることの影響かもしれない。だとしたら多少は確信を伏せざるを得ないというのも仕方ないのだろう。


とはいっても、コメントが多数付いている。著名度を差し引いたとしても、一般には何等かの評価する人が多いことの祥子、いや証拠だろう。


さて、そのブログ「六本木で働いていた元社長のアメブロ 」の記事にトラックバックを付けようとしたが、できない。トラックバックが無効にされているようだ。トラックバックさせたくない、という気持ちは個人的にはよく分かる。毎日何百とかそれ以上の trackback spam が来るというのは、あまり面白いものではないのだ。


ということで、この文章は本来トラックバックするつもりで書いたのだが、それができない。コメントは書けるので、そこにリンクを書いておく手はあるのだが、トラックバックという機能が用意されているにもかかわらず、わざわざ不便な別機能で代用する、というのは面白くもないので、こちらから勝手にリンクだけ付けることにした。


まずスタンスを明確にしたい。同感だという類のことは、既に誰かコメントしているはずだし、そんなことを書いても仕方ないと思うので書かない。逆に、これ違うよ、と思ったことを書く。ただ、そういうことばかり書くと、細かいところをブツブツと揚げ足ばかり取っているように見えると思う。誤解されるかもしれないが、別に構わない。ということで行ってみよう!


ちょっと話が横道にそれるが、農耕の発明とともに人間界に新たな制度が生まれた。一夫一妻制の結婚制度である。

いきなりこれが怪しい。農耕の発明というのは大昔の話だ。私は、日本では弥生時代に米作が始まったと習った。最近は縄文時代と教えているらしい。どこまでが縄文時代でどこから弥生時代かが謎だが、米以前にも農耕はあったと思われるから、つまりもっと昔のことだ。


では、その大昔の日本で一夫一妻制の結婚制度が確立しつつあったのか?学校ではそういうことは教えてくれないが、例えば「家」の制度が広まったのはもっと後、かなり早めに見積もっても戦国時代から江戸時代あたりか。さらに、家長制度的なものが社会的に確立したのはもっと後で、明治になってからではないかと思う。だから時代的におかしい。


さらに、もっと根本的な反論もある。現在においても、厳密な一夫一妻制度は少ないという説だ。( http://www.kisc.meiji.ac.jp/~hirukawa/anthropology/theme/polygamy/index.html )


日本に当てはめるとどうか。「一部の武士など特権階級にのみ」一夫多妻であったということは元社長も指摘している。「のみ」と限定できる根拠が不明だが、誰もが多妻を養うことができる訳ではない、という意味で理解できる。一夫一妻という建前があった時代でも、いろいろ抜け道はある訳だが。


いずれにしても、日本で一夫一妻制度が確立したのは、農耕の発明よりもはるかに後のことだと思われる。だから、一夫一妻制度の起源を農耕と結びつけるのは疑問である。


ではなぜ一夫一妻という考えが出てきて、確立したのか?私見としては、宗教が最も重要なファクターだと想像する。すると問題は「宗教が一夫一妻を命じるのであれば、なぜなのか」という方向に展開する。面白い話だが、話が逸れすぎるのでこの話はここでおしまい。


次に、すごく違和感がある、この箇所。


それは子供を作り、その子供に土地を継がせる必要があったからだ。

どういう違和感かは後で書く。ところで余談だが、今でこそ少子化が問題になり、日本は年々人口が減るという異常な完成形の社会に近付いているようだが、昔は何人も兄弟がいる家だって別に珍しくもなかった。


戦前まで、家督というのは長男が継ぐことになっていた。ちなみに今でも特に田舎に行けば、そのようなしきたりが受け継がれている所も多いと思う。一人が家を継ぐというのには重要な意味がある。タワケとか「たわけ者」という言葉があるが、これは田を分けるという意味から来ているらしい。一つの田を分けて二人に継がせたりしたら、二人とも破綻してしまうのだ。では、長男以外は一体どうなるのだろう?


農業にちょっとでも触れたことがある人は分かると思うが、田畑は一年耕すのをやめると、雑草が生い茂り、もとの農地に戻すのに、大変な労力をかけなければいけない。

雑草だけなら1年もかからない。1か月で十分である。それに、田はともかくとして、畑に雑草が生えるのは耕すのを止めたからではなく、雑草を抜くのを止めるからだ。耕しておいても雑草は生える。今は除草剤という便利なものがあるから、昔よりは楽に処理できるかもしれないが、農作物がある所に使うのは怖いし、手作業の畑仕事ということになる。


農地というのは雑草がなければいいというものでもない。元の農地に戻すという意味においては、土地の栄養分だとか性質維持だとか、生態系のバランスであるとか、そういうところも重要だ。輪作という技術がある。畑から同じ作物を毎年作り続けると、作物が養分等を吸収してだんだん収穫が減ってくる。そこで、年によって違った作物を作ったりして、養分をまんべんなく使うようにする。場合によっては、1年間作物を植えないことがあって、休耕畑と呼ばれている。休耕畑は放置してある訳ではなくて、ちゃんと耕すし、休耕畑用の植物を植えたりする。


つまり、放置しておくとやはり後は大変なことになる訳である。だから労力という意味では元社長の言うことは正しいと思う。しかしあえて雑草という言葉が出てくるというのが面白い。一体何を暗喩しようとしているのだろうか。


何か長くなったのでここで一旦切る。


(つづく)


※ 本記事は2008-08-23に「フィンローダの裏の裏ページ」に掲載した内容を移転したものです。内容に変更はありません。